歩き回る虎

なんだかんだ10年近くはてなを愛用する村人です。アニメや漫画やゲーム等のオタク系レビュー、投資日記、世の中のこと、ツイッターで書ききれないこと等を書き連ねる雑記ブログです。

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【改題】「女性キャラクターが客体ではなく主人公として主体的に活躍しているアニメが欲しい」という女性オタクを集団リンチせずにはいられないオタク達

 

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最初のタイトルと導入で全然伝わってなさそうなので少し変えました

 

 はてな匿名ダイアリーやトギャッター等でもう何度ループした話題かわかりませんが、

 

●女オタクが「“性的に消費されない”、“主体男性の添え物ではない”女性ユーザーがストレスを感じなくて済む女性主人公のアニメが見たい」とつぶやく。

●男オタクがその女オタクのツイッターアカウントにクソリプ突撃。当事者を攻撃しながら勝手に自己完結したアニメ大喜利大会を始める。そしてまとめブログやトギャッターがその女オタクを晒し上げて本格的集団リンチへと誘導。

 

 

togetter.com

 

yaraon-blog.com

●彼らに曲解でタコ殴りにされ、「そういう意味で言ったのではない」と訴えても聞く耳持たれず、元ツイート削除に追い込まれる女オタク

 

 こんな不毛な現象が最近またしても発生しているようです。

 


 

www.walkingtora.com

  本記事の主題は『アニメ大喜利大会をしよう』ではなく、『アニメを武器にしたオタクによるリンチよくねえだろ』です。

 

  以下のツイートを読むだけでもなんとなく「大勢が女性オタクにマウントする目的ありきで殴りかかったから、当然の結果としてトンチンカンにずれまくった」と読み取ってもらえそうかと思ったのですが、そうではなかった。

 

 

 

 

white_rose まあ本来のオタクらしく真面目に挙げてくれようとした人もいたと思うよ。「意図を汲み取って挙げてくれた人」「結果的にずれてしまった人」「ずれまくってるor大昔の作品挙げてドヤ顔でフェミガー」

 

   本文の意図を汲み取ったうえでこのようなブコメをしたwhite_roseさんに

「明らかに悪意的なリンチばかりがネットに乱立して目についたけど、1つ目のような人もゼロではないかもね」という意味で同意の☆を押しました。そりゃあ「ずれてても悪気はないからいいじゃない、にんげんだもの」なケースは完全否定しきれないと追記前から書いてはいたからね。

 

 だけど、それがまるで「1つ目2つ目の天然で悪意の無いオタクの方が9割で、自分たちもその一員。なにがわるいのさ!」と言わんばかりの反応に染まっていったかのようで、現にリンチ事例があるのをスルーしてそちらに傾くのは「天然」ではない意思による曲解ではないかと危惧しました。全てのブコメを観てませんが。

 

 無論その作品全てが参考に値しないものと断じるのは早くて偶発的に需要にマッチする作品が挙がることもあるでしょうが、彼らのような女性観でも許容に足りる所謂「男が見ても大丈夫なうんちゃら」作品の女性主人公よりも、仮説としてむしろ「どちらかと言うと多くの男オタクが許容できなかった」「男オタクが美少女消費者として疎外感を覚えた」「男オタクや男評論家からミサンドリーとさえ言われた事がある(大概そんなことはない)」「男オタクが想定していたテンプレを裏切った」「男オタクの集うまとめブログや掲示板でヘイトを集めた」作品からピックアップする考え方の方がもしかしたら早道でより正確かも知れません。

 

 彼らのその手の怒りの源にあるのは「俺達に媚びずに女に媚びやがって!」「娯楽たるべきフィクションにクソフェミ臭い要素を入れるな!」といった男性としての生理的不快感であることが多いと思いますが、冒頭の女オタクが求めるのはまさにそういう系統の作品なんじゃないの? 

 

 特にフィクションのフェミニズム要素やフェミニズム的解釈を必要以上に嫌悪するタイプのオタクには往々にして

 

ポリティカル・コレクトネスは作品のエンタメ性に冷や水をかけて自由な表現を阻害する敵対概念である」

 

 という強固な勘違いが見て取れます。

 

   全然そんなことないです。

 

 あちこちで普通にポリコレとエンタメ性は両立しまくってるし、むしろ創作のうえでは多様性と可能性が拡がった位です。

 

 とにかく今の時代の流れに合う「女性主人公が男性ありきの存在ではなく主体的にカッコよく活躍するアニメ」をオススメするというのは、いちオタクとしてはなかなかに興味の尽きない話題です。

 

 そうやって下書きしていたら、思った以上に長くなってしまったので記事を分割します。

 

 まずは次回の前フリということで、続きでは私の記憶にある「多くの男オタクが消費者として疎外感を覚えた女性主人公(もしくは主要キャラ)」「男オタクの集うまとめブログや掲示板で荒れた女性主人公(もしくは主要キャラ)」という観点から作品を紹介していこうと思います。

 

 

 あくまで本記事の趣旨は『独り歩きする女性主人公アニメ談義において、少なからぬオタクが対抗意識をむき出すあまりに置き去りにしてきた元々の女オタク当事者』を置き去りせず改めてその目線に寄り添う事にあります。ていうか他人事として距離を置いた話じゃなくて、自分もそういうのもっと欲しいですし。

 

 たとえば元発言の方やそれに近い作品を求めている人達に私から1つ1つリプライでURLを紹介してもいいぐらいには思っています。実際するかどうかともかく心境的に。

 

white_rose まあ本来のオタクらしく真面目に挙げてくれようとした人もいたと思うよ。「意図を汲み取って挙げてくれた人」「結果的にずれてしまった人」「ずれまくってるor大昔の作品挙げてドヤ顔でフェミガー」

 

 white_rose さんのブコメを引用させていただきましたが、外から反応したオタクがこの3パターンに分かれるとして(私が目にしたブログ等は炎上ニュアンスで発言者を晒す所作に疑問を持たないアニオタのものばかりだったから、それがいけなかったかな)、そういう人達には最初から必要の無い情報だと思います。もし文脈無関係につよそうな女主人公のアニメが知りたいなら、やらおん辺りに行った方が早いです。

 

 

 あとアニメに対する知識量なら私などよりはるか上をいくアニオタガチ勢の人は本当にたくさんいるのは知ってます。

 

 しかし、その膨大な知見と自負心を持つ古くからのアニメオタク世代ほど気づきにくい問題だと思います。

 

 なぜなら大本の発言者の意図を汲むならまず

 

「マジョリティ男アニメオタクがいちいち自覚さえしない程に快適で好評で常識化したテンプレートが、女オタク(少数派側)にとってはストレスだった」

 

という前提から出発する必要があるからです。

 

 そもそもこの手の女オタクのささいなつぶやきが毎度毎度、その個人とコミュニケーションする意思が無くジェンダーにも無関心な男オタクやまとめブログに必要以上に目をつけられて、発言者の意図を介在させない叩きやマウントでヒートするのはどんな動機からなのか?

 

  「アニメ界隈にナワバリを張る多数派として、みんなが好きなものを肯定しない生意気な少数派に数のぱわーで身の程を思い知らせてやりたい」ですよね。

 

 「自分たちの感性を否定する異端をみんなで炎上させて安心して一体感に浸りたい」ですよね。

 

 「アニメやキャラクターの評価と是非は多数派(男オタク前提)間で決めるから、少数派はこっちに入ってこないで黙ってろ」ですよね。

 

 そこまで自覚して言語化できなくても、発言からそのニュアンスをひしと感じ取ってるからですよね。そして知見と自負心の多大な古参アニメオタクほどその不快感は比例して大きくなっていくと思います。

 

 マジョリティゆえの幸福なアニメ消費体験をアイデンティティとする古参アニオタがこれに真面目に向き合うとしたら、ある種の自己否定精神が求められると思いますが、アニオタが人にアニメをプッシュする原動力は普通逆の気持ちですからなかなか難しいです。

 

 とにかく冒頭に書いた通り、それを必要とする当事者たちの頭の上で、それを必要としない第三者達が勝手にわちゃわちゃ盛り上がって第三者の間だけで完結して勝手に溜飲下げちゃう構図が不毛に感じてしまうから、そういう図式を避けたくての仮定でした。

 

 SNSの普及からオタクに限らず「一体感を持ってみんなで同時に○○○○を見る」スタイルが前提になってきていますが、同時に「多数派と異なる意見=炎上(燃やされて然るべき)」といった全体主義的な価値観も、年代関係なく目に付くようになってきました。そういう風潮には正直閉塞感を覚えます。

 

余談。

 

 下書き段階では「一見主体的でいきいきと活躍して見えるけど、性的消費や男尊女卑構造に疲れた女性読者にとっては超弩級の地雷女性アニメ主人公」を列挙していたんですが、『おおかみこどもの雨と雪』のあらすじと暗喩解釈をしていたら思った以上の大長文になってしまいました。しかも書けば書くほど本題から逸れて行く始末。この作品は別の機会に単体で取り上げた方がいいかも。