歩き回る虎

なんだかんだ10年近くはてなを愛用する村人です。アニメや漫画やゲーム等のオタク系レビュー、投資日記、世の中のこと、ツイッターで書ききれないこと等を書き連ねる雑記ブログです。

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【レビュー】映画『天気の子』は、新海誠の原点に立ち返った懐かしい傑作


映画『天気の子』スペシャル予報

 

  備忘録としてあらすじを記述するのでネタバレ全開です。ご注意ください。

 

 ただ本編以前に声を大にして言いたいのは

 

 夏美役・本田翼さんは普通に躍動感のある良い演技だった! 棒とは感じないし全然及第点以上!

 

   です。

 

 一部ネット民がことさらに特報映像内の本田さんの演技をあげつらい棒だなんだとブッ叩いていましたがアテにしちゃいけません。作品全体を通して良いキャラクターでしたし、キャラに合った演技だったと思います。

 

 ではここから↓、新海誠オタ視点まんさいの本編ネタバレですがどうぞ。

 

 

 「死にゆく大切な人」の傍らに寄り添う少女・陽菜(ひな)が、雨空を割くように差し込んだ「神の光」に触れたことから物語は始まる。

より正確には「神の光」が祀られていたお社の鳥居をまたいだ事から全てが始まった。

 両親や学校には特に不満はないが、漠然とした「自分は魅力的で刺激的で眩しい光の世界から疎外されている」という感覚から、海の彼方に消えていった光を追うように故郷の離島から家出してきた少年・帆高(ほだか)が上京してくる。

 東京へと向かうフェリー船上で謎の豪雨と超増水に襲われ命を落としかけるが、たまたま同舟に乗り合わせて雨を眺めていた編プロ経営者の須賀に命を救われる。

 

彼の家出理由は物語の中盤で明かされるが、このフワフワした「眩しい世界への憧れと疎外感」ひとつで人生を大きく左右する冒険に出る辺りが新海誠らしい理由のない思春期の衝動っぽくて◎

 

宿も仕事もないままマックで行き倒れそうになっていた所、たまたまそこでバイトしていた陽菜に食事をおごってもらい、その直後、須賀の編プロで住み込みの雑用として拾われる。

 

編プロ企画の晴れ女特集取材中に風俗スカウトに絡まれている陽菜を見かけ勇気を振り絞った「おせっかい」で連れ去る。偶然拾った拳銃を弾いてスカウトを撃退したことから、目出度く警察にマークされる事となる。

陽菜に話を聞けば、小学生の弟と二人暮らしの訳あり女子高生とのこと。マックのバイトを諸事情でクビになったので新しい収入源が必要。そして彼女こそが都市伝説『100%の晴れ女』その人だった。

帆高は恩返しのつもりで雨続きの都内に晴れの空間を売る「晴れ女ビジネス」を企画・実行。陽菜の祈りで順調に晴れ空間が提供されてゆき、ビジネスは大成功。

しかし陽菜の姿がテレビで全国放送される程までになったため、ビジネスは休業へ。

ビジネス成功で懐も潤ったので帆高はこれまでの感謝と好意を込めた誕生日プレゼントを買うことにする。帆高にソレを提案したのはなんと『君の名は。』主役の瀧くん本人であり、指輪売り場の店員は『君の名は。』ヒロインの三葉ちゃんというサプライズ!!

恋愛の駆け引きにおいてすっかり落ち着いた大人の二人が見られるというファンサービスである。外見も恋愛観も慣れない初々しさが抜けて、レベルが格段とアップしている事が伺える(しょっちゅう会ってデートしてるんだろうなぁ、と客が容易に想像できる)

帆高が買った数千円の指輪を陽菜に渡してついに人生初告白といった局面で、突然陽菜が天にさらわれてしまう。陽菜は冒頭で「神の光のお社の鳥居をまたいだ」瞬間から『天気の巫女』となってしまっていたのだ!

そして陽菜は晴れ女=巫女伝説を追う編プロ従業員の夏美から、巫女が狂った天気を鎮めるための人柱(天に召されて消滅する運命)であると知らされてしまう。

同時期に帆高を拳銃所持の危険な家出少年としてマークしていた警察からも尻尾を捕まれ包囲網を敷かれる。須賀の編プロにも住めなくなり、未成年の子供だけで生活していた陽菜と凪姉弟も引き離されてしまう。常識的には完全に「詰み」。絶望が三人の寄る辺ない少年少女を襲う。

帆高、陽菜と凪姉弟を引き連れて三人で残酷な世界からの逃避行へ

陽菜と一体に繋がったとされる天候は、消える運命に晒された陽菜の胸中を具現化するかのように前代未聞の大荒れを見せる。8月に台風級の大雨洪水暴風と大雪が同時にやってくるという怪現象に。

 

君の名は。』が新海誠の宇宙ものの集大成であるなら、『天気の子』は新海誠の天候表現の集大成。

やっとの思いで避難したラブホテル。小学生弟の凪つきではあるが、好きになった女子と一つ屋根の下で食事をし談笑し別々で風呂に入り、プレゼントの指輪も渡すという帆高視点では逢い引き逃避行のクライマックスを迎える。しかし陽菜の表情は悲壮感に溢れたもの。おもむろに帆高の前で寝巻きをはだけると彼女の身体半分が透けてなくなりかけていた。「私は天気の人柱だから帆高が晴れを望めば消えてなくなってしまう」

 

 緊急避難的な状況だから多くの観客には気にならないけれど、明確に「男女の一線を超す行為」を意識した性的な含みを全力で込めたシチュエーションですね。消えかかってる肌を見せるという設定で着衣を脱いで「私を見て」「あ、ごめん!」「(泣きながら)もう、どこ見てるのよ…」「(泣きながら)陽菜さんを見てるんだ」というやり取りは擬似的な行為のような表現だけど、一生懸命で切実で真っ直ぐで胸にグッとくるものがある。

陽菜が天に召されてしまう悪夢に起こされた帆高が目にしたものは、まさかの晴れの日差し。そして消失してしまった大事な人。そのタイミングで警察にも捕まってしまう。

「自分は消失した陽菜の行き先を知っている!」と訴えるも警察の大人達は耳を貸そうともしない。光を求めて都会をさまよっていた自分を見つけてくれて光にいざなってくれた陽菜を、今度は自分が見つけに行きたいんだ!

そう必死に訴えるも大人達は無視して残酷な日常世界へと引き戻そうとする。

帆高、陽菜に会いたい一心で脱出して残酷に晴れ渡る青空の下を駆ける! 

「姉ちゃんが消えたの全部お前のせいだから責任取れ」と発破をかける小学生の弟、

魅力的な人物だが大人になりきれないモラトリアムにいる夏美、

そして同じ大恋愛のパートナーを亡くした大人として帆高を諭そうとしたけど捨てきれない「何か」が胸中に残っていた須賀、

彼らが必死で警察を食い止めてる間に帆高は陽菜の元へとひた走る。

 

リアル子供と青さの残る(捨てきれなかった)大人達が一丸となって、青春思春期真っ盛り少年の帆高の会いたい衝動を支える胸が熱くなるシーンですね。

帆高、自分が「そこ」に行ってしまう事の意味を把握したうえで社の鳥居をくぐって「彼岸」へ。そして落下しながら陽菜と再会。

 

「もうこの手を離さない。陽菜さんに会えなくなる位なら世界は永久に晴れないままでいい!」という選択を示す。

 

セカイ系の騎手・新海誠節がこの一瞬に極まってます。好きな人との命運は世界そのものなのだという比較的初期中期の新海誠作品の世界観を、君の名は以降の新生キャラデザとスタッフの手でブラッシュアップして蘇らせる。最高。

セカイが変わって、晴れていた空が雨の魚に覆われるのを見て須賀が一瞬、『帆高たちがどうなったのか』を悟ったような悲壮な表情を見せる。

帆高と陽菜は手を繋いだまま例の鳥居の下に降ろされる。そして帆高と陽菜がエゴで望んだ通りに永遠にやまない雨によって東京の大部分が水没する。帆高は結局親元に帰ることに。そして高校を卒業して晴れて再上京。

(でも犠牲者が大量にいる風でもなく、水没世界でも東京都民はポジティブに高台に住んで変わらない日常を送っている)

ある大人は「元々埋立地だった東京が昔の姿に戻っただけ」と言い、

須賀は「お前が世界を変えた気になるのは思い上がりだ」と切って捨てる。

しかし、3年越しに陽菜を青年・帆高は確信する。

 

「やっぱり世界を変えたのは自分達の選択なんだ。僕達はもう大丈夫だ」

 

~~~~~~~~~~~~~主題歌・エンドロール~~~~~~~~~~~~~~

 

細かい考察などはもう一回観に行ってからします。

 

星を追う子ども』的な不穏な暗喩は感じ取れていた気がしますが、『星を追う子ども』ではジブリ風味を意識したしたためにしっくり来なかった部分が、今作ではストンと胸に落ちてくるような感じでした。やっぱり新海誠は大人でも子供でもない思春期をずっとウロウロしてる観客層に向けてこそ刺さる・生きる作家性だと思います。

 

  あと『君の名は。』で多くの一般客から噴出した「セクハラちっくな表現が童貞臭くて気持ち悪い(意訳)」批判を意識したのか、今作では主人公の帆高君は瀧くんよりも世間擦れしてない真面目少年なのですが「キミ、今むっつりな妄想したでしょ?」「妄想がキモくて引くんだけど」「勝手に恩返しのつもりで自分の中で盛り上がって女の子を助けたつもりになっててキモい」等と主人公男のキモさをいつになく自覚していたかのような脚本が印象的でした(笑)